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番外編 イハネバコソアレ
「逃げるんだ!!」
父上の背が見える。
傍には先程乗っていた駕籠が転がっている。
七、八人の布で顔を隠している男達が刀や、槍などの様々な武器を持って父とにらみ合っている。ほぼ真っ暗な中、それだけが見えた。
「そんなこと…!!」
私の傍にいた母上が父上に向かって叫んだ。
「早く行くんだ!!!」
母上は私を抱きかかえ、林の中へ走りだした。
「追え!!逃がすな!!!」
男達が叫んでいる。
「母上!!父上は!?」
不安になって、私は母上に問うた。母上は必死に走りながらも、私に笑いかけて大丈夫よと言ってくれた。
母上の顔の後ろに赤い三日月が見えた。
父上が見えなくなるくらい遠くまで来た。男が数人、こちらにやってくる。
「なつき…」
名前を呼ばれて私は母上の顔を見た。
「お母さんがあいつらをやっつけるから、なつきは出来るだけ遠くまで走りなさい」
そう言うと、私を下ろしてすぐに身を翻して、そいつらに向かっていった。
「い、嫌だ!!母上と父上が一緒じゃなきゃ嫌だ!!!」
私にはあいつらが誰だか分かっていた。父上と母上を殺そうとしているやつらだ。無論自分も。
母上は一度足を止めた。
「なつき!!」
怒鳴られて、私は肩を竦めた。
「強く…生きなさい…」
そう言って、いつもの優しい笑顔で母上は言った。
私は泣きそうになった。が、それを堪えて走り出した。
途中、堪え切れなくて涙がぼろぼろと零れ落ちた。でも足は止めなかった。
どのくらい走っただろう。
いつの間にかに私は道に出た。その途中に長い階段があった。私は何も考えずにそこを曲がって、階段を登り始めた。
登りついた先は寺だった。
私はその中に駆け込んだ。
だが、寺の中まで入る訳にはいかず、辺りを見回した。
ふと、耳を澄ませると先程の怪談から足音が聞こえてくる。
私は縁の下の柱の後ろに潜り込んだ。
足音が近づいてくる。
私は怖くて仕方がなかった。身体が震えているのが分かる。
「どこ行きやがった、あのクソガキ」
ぼそぼそとそんな声がする。
足音が更に近づく。縁の下を覗きまわされたら、すぐに見つかってしまう。
その時
それとは別の足音が聞こえ、襖の開く音がする。
「…何をしていらっしゃるのですか?」
柔らかい女の声が、そいつに言った。
「おい、あんた、子供見なかったか?」
「いいえ…見ませんでしたが?」
ジャリ、と地面を踏む音と舌打ち。
「くそ、逃がしたか…」
そう低い声が聞こえて、なつきは恐怖に震えた。だが、足音が遠ざかっていく。男はどうやらここにはいないと判断したらしい。なつきは小さく安堵の息を吐いた。
「…あら、もう一人お客様がいらっしゃいますよ」
先程の女の声が随分と近くで声が聞こえ、なつきはとても驚いて後ろがないのに後ずさろうとした。
前を見ると、逆光になって大きな影だけが見えた。いつの間に下に下りてきたのだろう。砂利の音が全くしなかった。手を引っ張られ、無理矢理そこから連れ出される。なつきは抵抗しようとしたが、全く敵わず、簡単に引っ張り出されてしまった。
「……離せ!!!」
抱きかかえられてしまって、その胸倉を思い切り叩きながら言う。
「あら…今度は可愛いお客さんですね」
また別の声になつきはそちらに振り向いた。
そこには、浅紫色の髪を持った女性が立っていた。
「どうしたんですか…?」
優しく問われて、やっと自分を抱えている人の顔を見る。濃い桃色の髪という珍しい色だった。母に似ている、緑色の瞳。
なつきは悲しくなってきて、その胸に顔を埋めながら声を殺して泣いた。
私の剣の師匠―――姫野二三先生と風花真白先生との出会いだった。
そして、そのお蔭で私は生き延びた。
もしこの人が居なかったら、ここに来ていなかったら、私は殺されていただろう。
私はそこで剣術も学んだ。
父上と母上はもうこの世にいないことも分かっていた。国主が変わったという瓦版があちこちに立てられていたと、師匠が言っていた。
苦しかった。でも、一人じゃなかった。二人は私を愛し、育ててくれた。
15歳のある日、私は町へ出た。勿論、父上と母上を殺したやつらを探し出すために。
半年近くかかって、私はそいつらを見つけた。
それが現国主の裏切りだということも知った。
そして、
この時から、私は一人になった。
そいつらを一人残らず倒したのだから当然だろう。むしろならず者として役人に追いかけられることにもなるだろう。寺の人達にそんな迷惑はかけられなかった。
毎日毎日刺客が来る日々が続いた。だが、そのおかげで強くもなった。
そして、私は諦め始めていた。単身で行ったところで、殺されるのがおち。城の中に入るのさえ困難だった。
いつの間にか、私は隣国に来ていた。向こうよりは発達していないが、それでも何故か空気が綺麗なような気がした。
ふらふらと裏通りを歩く。こないだの刺客はかなり強くて、こちらも手傷を負ってしまっていた。
人通りは全くない。
そこに急に複数の足音。そして怒声。なつきは少し興味を引かれて、そちらに向かった。
角を曲がると、三人の男が女を取り囲んでいる。
――――――私には関係ない。
そう思って、気づかれないように身を翻し、もと来た道を戻ろうとした。
………くそっ!
歩みが止まる。自分でもよく分からない感情。でも、今このまま去ったら何か後悔するような気がした。
「何をやっているんだ…!?」
私はそいつらに向かって言った。目を瞑っていたその女はうっすらを目を開け、こちらを見ていた。
それが、出会いだった。
―――――――――そして
「な~つ~き♪」
ガバッと後ろから抱きすくめられる。
「うわぁっ!!」
なつきは思いっきり驚いて、大声を出す。
「な、なんだ!?」
「やかて、なんやボーっとしとるから寂しゅうなってしもうて」
静留はグリグリと顔を摺り寄せている。
「だぁーーー!!!無駄にくっつくなぁ!!!」
なつきはそれを振り払う。
「……いけずぅ」
妙な品を作って、静留は言った。
「全くお前は…!!」
なつきは肩で息をしながら静留から離れる。
「で、何考えてたん?」
静留は柔らかく笑って近づいてきた。今度は純粋に疑問に思っているらしい。なつきは一つ溜息を吐くと、俯いたまま軽く笑った。静留は首を傾げてなつきを見る。
「ふっ…。さあな…?」
静留に向かって不敵な笑みを浮かべると、静留は頬を膨らませながらなつきを上目遣いで見詰めてきた。
「ええやん~」
静留は犬が主人に飛び付くように抱きついた。
「こらっ!!お前はまた…!!」
そう言って笑いながらまたじゃれあった。
――――――父上、母上。
なつきは空を見上げた。
すると、太陽がこちらに微笑んでいるかのように、暖かい日差しを贈ってくれていた。
Fin.