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―――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!
凄まじい地響きにみちるは耳を塞ぎたかった。
だが、腕がピクリとも動かない。不思議に思って視線を下げると、傷だらけの自分の腕。着ている物は寝巻きの原型をなくしていた。
それを見ると、同時に蘇ってくるように痛みが走る。その痛みを堪えて周りを見回すと、自分は血溜りの中に立っていた。驚き、そこから抜け出そうとするが、足の動かず縺れて転んでしまった。立ち上がろうと、身体を起こすために無理矢理手を使った。その時、ふと横を見て力が抜けそうになった。
そこにあったのは死体だった。その姿がみちるの脳裏を過ぎった。
………こ、これは…!!!
激しい恐怖と後悔で立ち上がることが出来ず、それでも、距離をとろうと後ずさった。だが、その死体が急にみちるの足を掴んだ。
「…た、たすけ…て……」
……い、いや…!!
みちるはそれを振り払って何とか立ち上がり、逃げようとするが後ろには少女が立っていた。
「おねえさん……」
暗闇でよく分からず、怪訝そうに、それでも警戒心を解かずに見つめていると不意にその子が顔を上げた。忘れられない見知った顔だった。
「なんで……?おね…さ……」
「……………!!!!!」
みちるは飛び起き、自分自身の身体を抱きしめた。
薄い緑がかった寝巻きには何処にも損傷はなかった。勿論自分の身体にも。
……大丈夫。
自分に言い聞かせるように、その言葉だけを自分の頭の中で唱えた。呼吸を落ち着かせるために、自分の呼吸音を聞いて、周りを見渡す。
そこはまさしく自分の部屋で、少し開いたカーテンから、日差しが入ってきていた。たったそれだけのいつもの殺風景な風景だった。
突然みちるは吐き気を催し、震える身体を強引にベッドから引きずり出した。ふらつく足を叱咤しながら、トイレに向かった。
誰も居ない部屋は孤独を殊更演出する。春とは言ってもまだ寒い季節が身にしみた。
再び急いでベッドに戻って、毛布に包まった。まだ身体が震えているのは、寒さの所為だけではなかった。
そうやって恐怖と戦っていると、急にサイドテーブルから何か音がした。思うまでもなく、それは通信機から発せられる音だった。こんな状態だから敵の気配に気づかなかったのだろうか、と思うと同時に今のままでは戦えないという恐怖もあった。それに、はるかに迷惑をかけたくなかった。
色々考えているにも拘らず、通信機は鳴り続けている。仕方なしにみちるは恐る恐る手を毛布の中から出してとった。
「……みちる?」
声を掛けて来たのはいつもの見知った顔。みちるは少し安堵した。
「どうしたの?」
いつもの様な毅然とした態度を保とうとしながら、問いかける。
「いや、起きてるかなって思っただけだよ」
「…そんな理由なの?」
「………嫌だった?」
少し問い詰めるような言い方をした所為で、はるかは機嫌を伺うような声色だった。
「…嫌ではないわ」
「そっか。良かった。んじゃ、後で。」
後で、の意味が思いつかなくて、考えると、その答えはすぐに見つかった。今日、はるかと約束していたのだ。しかも、今日は自分の誕生日だった。……全く、今日に限って何て嫌な夢を見てしまったのだろう。
「……どうした?」
今度ははるかが問い返した。不安そうな顔だった。
「何かあったのかい?」
「……何でもないわ」
取り繕って微笑みを見せた。まだ知り合って間もない間柄なのだから、効果があるだろう。
「……そうか?」
まだ怪訝そうな表情に一抹の喜びと不安が生まれたのは心に閉まって続ける。
「ええ、それじゃあ、また後で」
「…ああ」
通信が終わって何とか取り繕えたことに安堵してため息をもらした。先程まで震えはほぼ無くなっている。…大丈夫。
みちるは、はるかとの約束の準備の為に、やっとベッドを離れた。
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はるかはいつもと違うみちるに、少し戸惑っていた。何故か急に不安になって通信機を使ってしまったが、使って良かったとも思う。
……何でもないわ
嫌に耳に残る言葉。何かが可笑しい。でも、自分が踏み入れていい問題なのか分からずはるかは悩んでいた。だからと言って、自分から話してもらえるのを待っていたら、一生そんな日が来ない事を自覚していた。自分に係わる問題なら、傷つけまいと話さないし、関係ない事なら、心配かけたくないと口を噤んでしまうだろう。そういう人だから。
「お待たせ、はるか」
考え込んでいる時に声を掛けられて、少し驚いた。
「おはよう、みちる」
とりあえず挨拶をして、取り繕う。そうすると
「今、何考えてたのよ?」
と、くすっと笑われた。彼女の前では意味が無かったようだ。
「とりあえず、行こうか?」
「ええ。何処に連れて行ってくれるの?」
いつに無くハイなみちるは、喜びだけといった感じではなさそうだったが、どう切り出していいかわからない為、もうしばらく様子を見ることにした。
それから二人は一般的な友達と遊ぶときのように、ウインドウショッピングをして、食事を取って、他愛の無い話をして……出来るだけ胸の中のそれぞれの不安を隠して、楽しんで過ごした。
気がつくと日は落ちかかり、あたりはフィルターを通したように赤かった。みちるは、それを手をかざして見上げた。はるかもつられてそちらを見る。
「日、暮れちゃったね」
「ええ。綺麗ね」
柔らかい赤はみちるを和ませると同時に、何か引っかかるようなものも与えた。みちるはそれを感じて少し不安になった。
「ああ。……でも」
はるかは独り言を呟くように、口に出した。みちるははるかの方を振り返った。
「……血みたいだ」
瞬間
何かがはじけたような気がした。
赤く染まるはるかを見て、みちるは再び吐き気を催した。その場にしゃがみ込む。はるかはすぐにみちるの異変に気がついた。
「みちる……!!!」
「気にしないで…ちょっと立ちくらみしただけだから」
平静を装った肩は僅かに震えていた。
とても、儚げに見えた。
何か得体の知れないものから自分を守ろうと、必死に自分を掻き抱いて。
「みちる」
次の瞬間、みちるは自分とは違う温もりを感じた。
はるかはみちるを抱きしめていた。
「は…るか……」
みちるは安堵と共に糸が切れたように意識を失った。
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行き着く先はいつも闇だった。
ナニモ
ミエナイ
嫌だ
いやだ
イヤダ……!!!!!
「嫌あぁぁっ!!!!」
みちるは飛び起きた。
ここは…どこ…?
見たことも無い部屋が、いつもよりも恐怖を増幅させる。震える身体を無理矢理動かそうとすると、ベッドから落ちそうになった。だが、それは暖かい温もりよって止められた。だが、動揺しているみちるにはそれが何なのか考える暇も無い。
「い、やあ……!!!」
「みちる!!」
みちるは必死に逃れようとしているうちにそれが何なのか分かった。
「はる…か……?」
暖かい温もり。……昔よく感じた匂い。
「はるか!!」
涙がいつの間にか溢れ出ていた。その温もりを逃さんばかりにシャツをきつく握り締めた。
「…みちる。大丈夫だよ」
はるかはみちるを宥めるように、背を擦った。
嗚咽が弱くなってきたので、はるかはみちるの顔を覗いた。
「……みちる?大丈夫」
「…ええ。ごめんなさい」
大分落ち着きを取り戻したらしく、シャツから手を離して俯きながらも答えた。はるかも咄嗟に手を離す。
「…あっ、ごめん」
「何故謝るの?」
「だって急に抱きしめちゃったりして…」
今度はみちるが顔色を窺うと、ほんのり赤く染まっているような気がした。可愛い、と少し不謹慎なことを思いつつも、思い切った行動に出た。
「み、みちる…!?」
いきなり後ろからまわってきた手にはるかは驚いて首だけ後ろを向いた。
「あ、安心しない?こうすると…」
声がどちらも裏返っているのは気のせいだろうか。
「………ああ。そうだね」
「誰かに抱きしめてもらったの久しぶりで…。暖かくて、すごく落ち着いたわ。だから、謝る必要なんて無いわ。……ありがとう」
「いや、そんなお礼言われるようなことしてないから、それより…どうしたのって聞いてもいい?」
はるかはまわされている腕を優しく解いて向き直った。みちるははるかの真っ直ぐな瞳に戸惑った。ほんの一瞬だったのかもしれない長い時間の沈黙の後、みちるは水滴を一つ落とすかのように言葉を紡いだ。
「私ね……人を殺したの」
顔色を盗み見たが真剣な眼のまま、はるかは黙り込んでいた。
「殺したときは何とも思わなかったっていうか…感情が追いついていなかったみたいで、実感なかったのだけれど、たまに、夢を見るのよ…」
「夢…?」
はるかは次を促す相槌をうった。
「その夢で…彼らが私を責めるの…。……なんで、なんで助けてくれなかったんだって」
みちるの目を再び濡らし始めていた。
「私は…助けられなかった。自分の目的に犠牲は付き物だって、分かってる。でも、何故だか納得できないのよ……」
はるかは、肩を震わせ、懸命に自分の背負った十字架に耐えようとしている少女を見た。
彼女はどのくらい耐えてきたんだろう…?
はるかは自責の念に囚われた。自分がのうのうと生きている間、彼女は一人で戦ってきたのだ。自分の宿命を受け入れて、ずっと……。その辺の誰かだったら、きっととっくに壊れてしまっていただろう。
「みちる」
呼びかけに応えて、みちるは泣き濡らした頬をそのままに顔をあげた。それは年相応の破瓜の少女だった。はるかは正面からゆっくりみちるの背に腕を回した。少し力が入っているようだが、みちるはそれを拒まなかった。少し強すぎるくらいに抱きしめた。
「はるか…?」
みちるは訝しげに、はるかを覗き込んだ。
「………一人じゃないから」
その言葉に、みちるは驚いたように目を見開いた。
「もう、一人じゃないから。強がらないで。もっと頼っていいからさ。頼りないかもしれないけど……ちょっとは僕もみちるの背負ってるもの、持たしてよ」
他の女の子なら簡単に言ってしまえるような言葉が、何故彼女の前だと上手く言えないのだろう。
「………ありがとう」
そういって今日初めての本当の笑顔を見せてくれた。
「……本当はこんなに話すつもりじゃなかったのだけれどね。少し動転しちゃっていたみたい」
しかしその言葉には一抹の自嘲が含まれていた。
「そんな言い方しないでよ。嬉しかったよ?みちるの可愛い泣き顔も見れたし」
やっと口を割って出てきた科白は、みちるを赤くさせるのに十分だった。
「もう、はるかったら、よくそんな科白が出てくるわね」
「あれ?照れてるの?益々可愛いなぁ」
いつもの誰にでも言うような戯れごとなのに、意識してしまうのはやっぱり好きだからであって。でも…
あなたって残酷よね……
「どうしたの…?」
「…いいえ、何でもないわ」
そう言って、みちるは始めて部屋を見回した。少し開いたカーテンから柔らかい光が漏れていた。みちるはベッドから降りると、そこまで行き、カーテンを開いた。
「綺麗ね…」
「ああ…」
そこには、二人を見守る空に浮かぶ月があった。
Fin.
シリアス大好き
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